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景観 / デザイン地方・地域公共空間
2017.11.20

7000以上のベンチによって繁栄した街があった! 〜100年前につくられた、歩道のベンチのデザイン条例

アメリカ、セントピーターズバーグ。この街になんと100年前にすごいことが起こっていました。街中の歩道に7000を超えるベンチが置かれ、そのデザインや配置について条例が制定され、街に人があふれかえっていたというのです。〜本コラムは、大西正紀氏のコラム(link)を転載したものです。
大西正紀/GroundLevel



とんでもないベンチのお話をご紹介します。

以前に参加した公共空間に関するフォーラムで「まちに座る」というお題が与えられてからというもの、「まちに座る」を哲学することにのめり込んでしまい、私はずぅっとこのテーマでもってネットサーフィンをし続けています。今日はその中で見つけた100年前にはじまるある「ベンチ」によって試みられたまちづくりの話です。

1枚のポストカードに描かれた無数のベンチ

さて、私はその日も世界の「まちに座る」を調べまくっていました。すると1枚の画像が目に付いたのです。これがその画像です。

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この1枚にもう鳥肌ですよ。わぁ、これまたすごい数のベンチが設置されているなぁと。何て豊かなんだと。やっぱり「まちに座る」を実現させるベンチという存在そのもに感動したわけです。

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そして、さらに深掘りしていくと。これはポストカードで、ここに描かれているのは100年前のアメリカ、フロリダ州西海岸にあるセント・ピーターズバーグという街だということがわかりました。そして、このベンチは「GREEN BENCH」の愛称で市民に愛されていたことが書かれたテキストに出会いました。

最初は不動産屋のおやじがきっかけだった!?

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そもそも最初のきっかけは、1904年にこのまちに住みはじめたノエル・ミッチェルという方でした。かなりやり手のビジネスマンだった彼は、1907年に不動産屋をはじめ、ビーチ沿いの宿泊施設に特化した不動産事業を展開したといいます。下の写真がまさにその物件だそうです。100年以上前のアメリカはこんな光景だったのですね。中心部の人口も数千人という記録が残っていました。

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ところが、ノエルはすぐに街全体としては人がいるはずなのに、自分がもつ不動産の足元(グランドレベル)の人の流れがまばらなこと、そして通りがかる人が座る場所を探していることに気付きました。

そこで彼は思ったのです。「これ、ベンチ置いたら、人がたくさんきて、物件の1階のお店も儲かるようになるんじゃないか?」。アイデアマンだったというエピソード満載のノエルですから、迷い無く速攻行動に出ます。それが、明るいオレンジ色のベンチを50個置くというものでした。そして、その結果はすぐに現れたというのです。周辺のエリアからそのビルの足元に、人々が溢れるようになった! さらにノエルは、ここにとどまりません。ベンチに広告が打てることに気づきとすぐに自社の広告をベンチに施しました。すると、我が社の広告を入れてくれ!と依頼が殺到したという。

その一方で、もうひとつ面白いことが起こりました。なんと、ベンチの設置そのものをマネをする人がではじめたというのです。それもどんどん街中に増えて何千にもなったそうで。

無作為に増えるベンチに秩序を与えた市長の功績

1916年にセント・ピーターズバーグ市長に当選したアル・ラングは、その光景を見ていました。ただひとつだけ問題があったのです。それは、何千も増えてしまったベンチのデザインがとにかく不揃いだったこと。つまり、これじゃ増えれば増えるほど街の景観がきたねぇなぁというわけです。確かに先ほどの写真のような100年前の街で、無作為にベンチが増えていく光景を想像するとうなずけます。

市長はきちんとデザインリテラシーがあった方だったのでしょう。なんと、そこでやってのけたのが、街(歩道)に置くベンチのデザインの条例化!だったのです。色はグリーンに統一し、さらに大きさも統一。想像ですが、きっと設置の仕方なんかも決めていたのではないかと想像します。

そうして、このまちには緑色のベンチが増え続けていきました。その数、ピーク時には、なんと7000越え!!

すると次に何が起きたのか。

セント・ピーターズバークが「グリーンベンチの街」として、噂になりはじめ、地元住民はもちろん全米から観光客が押し寄せるようになっていきました。ベンチの存在そのものが、街のおもてなしの象徴となっていったのです。

それまでとは異なる賑わいを持ちはじめた街の光景を、当時のポストカードだけが今に伝えてくれます。ポストカードになっていることそのものからも、当時の盛り上がりが伝わってきますね。

では、いくつか見つけたものを見ていきましょう。

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1階にお店があって、軒先があり、歩道があり、ベンチ、そして路上駐車スペース。他の地域からも押し寄せたという熱気がビンビン伝わってきます。どの人もみんなおめかししているのがまた素晴らしいじゃないですか。

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街のグランドレベルにお店があるのが先か、街にベンチがあるのが先か。“鶏が先か、卵か先”かではなく、街にはまずベンチは必須だということを、ノエル・ミッチェルとアル・ラングは教えてくれます。ストリートがあること、それに対応したベンチが続いていること。これが揃えば、グランドレベルには確変状態が起きる。(自由が丘のベンチもそうですが、ベンチからも街は変わっていきます)

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ベンチの設置の仕方についても考えられています。ベンチの背と背を合わせながら対面する形で連続させています。対面で座ってもトイ面が気にならない程度の距離を保っているところからすると、このあたりのガイドラインもきっときちんと決められていたのでしょう。

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7000ものベンチがあり、これほどまでに溢れる人々について想像を深めると、ここにいる人たちはきっと、明確な目的があってこの街に来ているのではないと思うのです。つまり、おのおのが自由にベンチに座っている光景にある種の安心感を感じている。今日もベンチのある街に佇みにいこう、漂いに行こう。きっとそういう感覚に近いものがあったと思います。カードの真ん中のおじいさんは花を持っていますね。手前で振り返っているおじいさんは、なんとなく知り合いではないけど話しかけみた!瞬間なのだろうなと想像してしまいます。

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先日、パブリックマインド生配信番組「モトコの部屋」でゲストに招いたスタディストの岸野雄一さんとのアフタートークで、日本は世界で一番街で知らない人に話しかけない国だという話をしていたのですが、やはりグランドレベルに人が溢れていることと、街で他人に話しかけたりコミュニケーションがとれるかは、関係が大いにありそうです。

えっ! 突然ベンチの風景がなくなってしまった

7000ものグリーンベンチが増えていったセント・ピーターズバーグは、気付けば、全米の中でも人気の街へと変わっていきました。特に1940〜50年代は、退職者たちの住まいとして人気となり街は急成長を遂げていったと言います。

しかし、1917年の条例化から50年が経った1967年。街の若返りを目的として、その色がグリーンからパステルカラーに変えられたのだそうです。これが失敗でした。なんと、わずか2年後の1969年には、ベンチによって反映した街からベンチが消えてしまったというのです。

その後訪れるのは1970年代は経済成長期。人口も増え、都市化も進んで行くなかで、あのすばらしいグリーンベンチのある光景が、なくなってしまった。なんとも寂しいですよね。きっと色を変えたことだけではなくて、ベンチの設置を推奨しない何らかの政策も動いたのかもしれません。市民が自ら「ベンチはもういりません」と判断したとは思えませんから。

で、僕はここまでの話だけで、大変感動していたわけです。純粋にベンチというものの強烈なチカラを証明するエピソードですし、そこに登場する二人の人物の決断に、市民と時代が共鳴し、あのような光景をつくってしまったわけですから。

ところが、です。

話はここで終わりではなかったんですよ。ここからが第2章のはじまりです。

さらに調べていくと、「Green Bench」と名付けられ現代のこの街に生きていた3つのものを発見したのです。それを一つひとつ紹介してきましょう。

なくなっても、市民に受け継がれていたグリーンベンチの理念とは?

1.緑のベンチの復興を目指すベンチ屋さん「Green Benches & More」の誕生

ある日、同じ街にベンチ屋さんがあることを知りました。グリーンベンチが街から消えてしまった1969年から約10年が経った1980年代のこと「ベンチのある風景は街の歴史そのもの。ベンチがなくなってしまうことほど哀しいことはない」と、地元のフラッシュ・ウィリアムソンさんという職人さんが、緑のベンチの複製をはじめたそうです。それが「GreenBenches&More」というベンチ屋さんのはじまりとなりました。今ではレプリカのベンチを$ 875〜1,150の価格で販売しています。

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これがまたベンチとしての耐久性はもちろん、作り方もよくできてるんです。購入するとキットが届いてDIYでつくることができます。長さがオーダーできたり、今では色も選べたり、広告(文字)を入れることもできる。実に活用しやすいシステムになっているので、街はもちろん外の地域でもさまざまな使い方がされているそうです。むろん、あの緑のベンチが欲しいと購入して家やお店の軒先に置いてしまう市民が多いことは言うまでもありません。

今、気付いたのですが、会社名の「GreenBenches&More」の「&More」ってところに、また大きな想いがありそうですね。

2.誰に対しても開く街のコミュニティマガジン「Green Bench Monthry」

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そしてまたある日、こんなウェブサイトを見つけました。またしても「Green Bench」と名前が書かれています。そして、よ〜く見ると「コミュニティマガジン」とあります。どうやらウェブマガジンと同時に紙媒体が出版されているようで、月刊誌のフルカラー版が毎月15,000の家庭に送られているそうです。

中を開くと市民の活動や地元企業のニュース、これからの街の開発の話から、街の歴史、そしてイベントごとまで、デザインもされていてすばらしい冊子です。(これを見ると、日本の区報系のデザイン・編集のレベルの低さがとてもよくわかります)

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このメディアは、トニーとアシュリー・シーカという夫婦によってつくられたものです。その馴れ初めにこんなことが書かれていました。

「1900年代初頭にセント・ピーターズバーグの街に並んでいた緑のベンチたちは、コミュニティとwelcomenessを象徴し、地域住民や観光客など、誰に対しても開かれていまいた。これまでも今も他の多くのアメリカの都市は(人種問題など)社会的隔離の問題を持っています。けれども、そんなときでもグリーンベンチはすべての人を受け入れる存在でした。多様な社会的隔離を抱える今の時代こそ、グリーンベンチのマインドを受け継いだ同名の媒体によって、この街のコミュニティで何が起きているのかフラットに市民のために伝えたいのです」

あまりにも素晴らしすぎて、鳥肌も越えてちょと涙が出ました。

つまりですよ。7000以上のベンチによって生み出された街の光景がもたらした最大の功績は、単に“ベンチを介した人と人との会話や営みが生まれた”という現象にとどまらず、市民がその無数の営みの多様さを許容するようになっていったことだったのです。ベンチによって、セント・ピーターズバーグ市民が高度なパブリックマインドを持って生きる姿勢を持ち、そのことに愛と誇りを持っていった。

まさに100年の時をかけて、世代を超えながらシビック・プライドが醸成されていったというわけです。ベンチの理念がカタチをかえて受け継がれてきている。なんて、素晴らしいことなんでしょう。こんなことってあるのでしょうか。

3.街のブリュワリー「Green Bench Brewing」

ベンチのチカラがハンパない! もう私はこれまで書いてきた一つひとつのエピソードに出会う度に飛び上がり「なんてことだ!」と興奮してきました。で、出先で出会う人に、興奮してこの話をし続けてきました。そして、せっかくだからひとつnoteに書くかと重い腰を起こそうとした昨日、またしても同名のあるサイトに出会ったのでした!

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それは「Green Bench Brewing」というブリュワリーでした、ここにも「Green Bench」の文字があります。ホームページには、こんなことが書かれていました。

「1900年初頭から、グリーンベンチの街として知られていたセント・ピーターズバーグは、歩道に並ぶ無数のベンチによって通行人たちはゆっくり歩くようになり、見知らぬ人と友達になっていきました。これらのベンチは市民も観光客も、みんなを迎え入れました。私たちはブリュワリーを立ち上げるとき、醸造の世界にも通じ、セント・ピーターズバーグを象徴する名前を考えることにしました。しかし、私たちはグリーンベンチという名前以外に探す必要はなかったのです」

そして、彼らは自分たちのブリュワリーが、かつてのグリーンベンチがそうであったように地域社会をサポートするための触媒として機能したいと言います。彼らのメッセージはまだ続きます。

「人々は、良い気分も悪い気分も両方も携えて、ビール一杯のもとに集まることでしょう。仕事の話をしたり、人生を回想したり、夢を語ったり、冗談を言ったり、ダンスミュージックを聴きながら、リラックスして醸造をお楽しみください」

そして、それらのメッセージの横に添えられていたのがこの写真なのです!(今この記事を書いていて気付いたのですが、ホームページの背景の画像もこのポストカードの絵が使われていますね)

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世代を超え、カタチを変え、グリーンベンチの理念が受け継がれていく.そこに醸成される強烈なシビックプライドとパブリックマインド

何度でも言ってしまいますが、すごい話だと思うのです。

ベンチがまちの風景をつくり、100年間、何世代にも渡って、市民のDNAには「自分たちのまちはこうだよね!こういう市民でありたいよね!」という理念が力強く刻み込まれていきました。ベンチがなくなり、21世紀になってもなお、その理念は受け継がれ、さらに新しい世代とも理念を共有しながら、ベンチ屋、コミュニティマガジン、そしてブリュワリーとさまざまなカタチで現れはじめているというわけです。

実は、今年の2017年11月で、グリーンベンチの条例が制定されてからちょうど100年なのだそうです! きっと街では何かが起きるのでしょうね。

今後も、この街にはグリーンベンチの理念を持った新しい何かが生まれていくのかもしれません。そしてまた生まれてくる新しいカタチの「Green Bench」なるものを介して、真の意味での街に対する愛や誇りを共有しながら、街も人々も移り変わっていく。大切なものはきちんと持ち伝え伝承していきながら、変化も受け入れているセント・ピーターズバーグから、私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。

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今回の話、いかがだったでしょうか。

ベンチは、賑わいはもちろん、シビックプライド、はては“理念に影響された能動的な試みがまちに溢れてくるというパワー”までもをベンチが持っているのです。

(前のニューヨークの都市戦略としてのベンチ設置に関する記事でもお話ししましたが)ここで皆さんの身の回りを見てみてください。お家から最寄りの駅まできっと歩道にオフィシャルなベンチはひとつもないはずです。あってもせいぜい、バス停にある小さなベンチや照明を兼ねた酒樽のようなお一人椅子。この状況は世界最悪です。しかし、それはとてつもない伸びしろと考えることもできます。私たちの国の街は、ベンチによって変わることができる可能性を大きく持っているということです。

いや、やっぱり座る場所ですよね!ということで、最近の日本では社会実験という名の下に、適当な椅子やベンチが置かれるという謎の事態が起きています。座る場所をつくって人が座るなんて、当たり前のことなんです。犬の前ににエサを置いたら食べた!ってあまりにも当たり前でしょう。

今回の話を読めばわかると思います。つまり「ベンチ」は単なる「座る場所」ではない、「休む場所」ではないのです。いや、厳密には、それだけではないのです。そこから先が大事なんです。そこから先の市民の心にどう刺さるのかということ考えなくてはいけません。それには、ベンチのデザインはもちろん、そのベンチが置かれる光景そのものが愛されるものにならなくてはいけないのです。それには、もしベンチを街に置く、座る場所をつくる際は、セント・ピーターズバーグのようにポストカードにされてしまうような光景をつくることを目指さなくてはいけません。

ベンチの話をすると、条件反射で浮浪者対策が、管理の問題が、とおっしゃる方がいますが、そんな人が関わるまちの伸びしろは、限りなくゼロに近づいていくでしょう。道路法しかりさまざまな事情はあります。しかし、さまざまな側面からベンチは、これからの日本の街には必ず必要なものなのだから、設置するためにできることを考えていくことがひとつ、まちのポテンシャルを左右するようになっていくでしょう。

あなたのまちも、ベンチで変えてみませんか?

といういわけで、今日はこの辺で。

大西正紀(おおにしまさき)

http://glevel.jp

http://mosaki.com

PS.そう!近々ベンチのプロジェクトを立ち上げますので、そちらもお楽しみに!

*→2017年9月1日、グランドレベル会社設立1周年を記念して「JAPAN BENCH PROJECT/TOKYO BENCH PROJECT」を立ち上げました。また、その第一弾として、神田のまちにベンチを設置する社会実験「神田ベンチプロジェクト」を2017年10月24〜29日に行います。日本のまちに、ストリートベンチで元気を!ぜひこちらをご覧ください。

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http://japanbench.jp/